Japanese
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日本語教育

スリランカであった「日本語教育のいい話」をご紹介いたします。

スリランカと日本の関係

「日本とスリランカ」
スリランカと日本は東洋の国として共通の文化的価値観を受け継いでいます。両国は古代仏教国として文化を共有し、仏教の価値観によって形成されています。仏教はもともと、日本やスリランカを含む極東諸国に広まりました。スリランカは、紀元前3世紀、アショーカ王統治時代にインドからこの素晴らしい贈り物が伝えられました。日本もまた同じく、中国と韓国を通じて仏教の教えを知りました。
このように、スリランカと日本の友好関係には、長い歴史があります。さらに、両国には新しく活気に満ちた友情の時代が到来しました。第二次世界大戦後の1951年のサンフランシスコ講和会議のときです。

故ジャヤワルダナ元大統領は対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、日本を国際社会の一員として受け入れるよう訴える演説を行いました。この演説は、日本へ厳しい措置を求めていた多くの戦勝国をも動かし、その後の日本の国際社会復帰への道につながるひとつの大きな象徴的出来事となりました。
仏教の教えである「深い慈悲を」日本へ、というメッセージを込めての演説です。

「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む
(Hatred ceases not by hatred, but by love)」


故ジャヤワルダナ大統領は、時代を超えた仏陀の言葉を引用したのです。
この演説により、日本は自由な国となり、スリランカと日本の関係はより強固なものになりました。 そして、計り知れない戦争の損失から、日本人は驚くべき速さで復活を成し遂げました。今日、日本は世界の中で経済大国の一つとみなされています。 最も偉大ではなかったとしても、少なくとも日本は、国家としての不屈の意志と精神を世界に示しました。そのような現代日本にとって、スリランカは信頼できる真の友人として存在しています。


Dr.ニマル・セナラトネ(Dr.Nimal Senaratne)
現社会福祉大臣外交関係戦略顧問

スリランカの南北を結ぶ新たな「日本の橋」

戦争で引き裂かれた南北スリランカに喜びをもたらすであろう“スーパーブリッジ”、「日本の橋」が現在ジャフナ州にて建設されています!

この橋の構築に使用される奇跡的な材料となるものは、日本語とそれに根付いた日本文化に他なりません。
日本の言語では“ニホンゴ”、“ブンカ”、また“アイサツ”として知られています。


この”橋”の建設は、2023年3月に始まりました。これは、経済的に困難な家でジャフナ市の政府から支援を受けている若者に対し、日本語を教える”ジャフルディ”というプロジェクトです。まずは6ヶ月間の集中的な日本語研修を行い、その後さらに日本語試験N4レベルを目指した6ヶ月間の日本語研修を行います。その間、日本で雇用されるために必要な職業訓練も行われます。このプロジェクトで実施されるルールや規則に関する内容は、スリランカと日本の相互合意によって作成されています。

この新しいプログラムは、アヌパ・パスカル社会福祉大臣閣下によって考案されました。現在、スリランカの11 地区、19 センターでの導入に成功しています。ジャフナ市の33名の学生は、すでに日本語を習得し始めています。これ以前は、彼らは母語であるタミル語のみを使用していました。しかし、日本語を数か月間勉強した結果、彼らは書く、話すことには、ある程度の日本語力を身に付けました。

そして彼らは、ほかの地区にいる日本語を話す若者たちと、この新しい言語でコミュニケーションを取ることが出来るようになりました。
このような若者の交流の変化は、まさに前例がなく、驚くべきことです。


人種や地域の違いにより30年も続いた悲惨な戦争で、不運にも人々との間に溝が出来てしまったスリランカでは、想像もし得なかったことです。
目を合わせることすらなかった2つの地区の若者たちが、お互いの文化を理解し始め、健全な友情を構築しています。彼らは何の疑いを抱くこともなく、お互いの家を訪ね合います。この前例のない相互理解は、日本語という新たな言語を学ぶことによって生まれました。
スリランカのシンハラとタミルの人々は今まで、お互いを偏見と疑惑の目で見ていました。たとえ非常に些細な問題であっても、すぐに争う姿勢を示し、危険な武器を使用し、民家を焼き払うことさえもいとわないほどでした。

現在では、優越感や敵意を生じさせない言語である日本語でのコミュニケーションを通じ、お互いを理解し、また人として敬意を払うようになりました。シンハラ語、タミル語、アラビア語、さらには英語さえも達成し得なかった奇跡が、日本語と日本文化を学ぶことによって起こっているのです。

今までのお互いの文化に対する誤解が全て無意味のように見え、彼ら全員が新しい”スーパーブリッジ”を楽しみ始めているようです。

今までは、彼らは政治家や知識人だけでなく、一般の人々に対しても残忍な動物のような目を向けていました。現在、状況は前向きに良い方へと変化しつつあります。
ジャフナ市の学生たちは、南部から来た政治家に自分たちで作った花の首飾りを掛け、それを鼻の高さまで上げ、信頼と愛を込めて敬意を表し、歓迎の挨拶をします。この若者たちが異なる地域の人々と交流をする、このようなことは肌の色の違いを除けば、日本の若者たちと何ら変わりません。
日本語・日本文化プロジェクトのお陰で、南北を問わず一つのスリランカとして団結する平和な国を築き、調和に基づいて暮らすという私たちの夢が実現に近づいています。